|
オーバーン()は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の中央部西寄り、カユガ郡にある都市であり、同郡の郡庁所在地である。フィンガー湖群の1つ、オウワースコウ湖の北端に位置している。2010年国勢調査での人口は27,687人だった。市内に最高警備度のオーバーン矯正施設がある。アメリカ合衆国国務長官を務めたウィリアム・スワードや奴隷制度廃止運動家ハリエット・タブマンの家がある。スワードの家はハウス博物館になっている。 == 歴史 == オーバーン周辺の地域は、ヨーロッパ人が接触し、記録が残される以前の長い間、イロコイ族の領土だった。 オーバーンの町は、アメリカ独立戦争の後でニューヨーク州西部が開拓された時代である1793年に設立された。設立者のジョン・L・ハーデンバーグは、独立戦争の間にイロコイ族に対抗したサリバン・クリントン遠征に従軍したベテランだった。ハーデンバーグはオウワースコウ川の傍に、幼い娘と2人のアフリカ系アメリカ人奴隷、ハリー・フリーマンとケイト・フリーマンと共に入植した。1806年に死んだ後、オーバーンのノース通り墓地に埋葬され、その後の1852年に市が新しく開いた埋葬地であるフォートヒル墓地に最初に埋葬される者として移葬された。町はハーデンバーグの製粉所と製材所の周りに成長した〔Historical & Cultural Auburn, New York 〕。 当初はオーレリアスの町のハーデンバーグズコーナーと呼ばれていたこの開拓地が、1805年に郡庁所在地となった時にオーバーンと改名された〔The name ''Auburn'' resonated with the opening lines of Oliver Goldsmith's then-familiar poem "The Deserted Village" (1770): "Sweet Auburn, loveliest village of the plain, Where health and plenty cheered the labouring swain."〕。1815年に法人化された村となり、1848年に市として認証された。1825年に開通したエリー運河からほんの数マイルの距離にあったので、土地の工場は安価に製品んを南北に運ぶことができた。1871年、リーハイ・バレー鉄道が資金を出したサザン・セントラル鉄道が完成し、ペンシルベニア州アセンズの石炭を、オーバーンを通ってオンタリオ湖のフェアヘイブンの桟橋まで運んだ〔Lehigh Valley Railroad Historical Society 〕。 1818年から1939年、オーバーンにはアメリカ合衆国でも著名な神学校であるオーバーン神学校があった。1939年、世界恐慌の結果として財政的な問題に直面し、ニューヨーク市のユニオン神学校のキャンパスに移転した。当時の建物で唯一オーバーンに残っているのはウィラード記念礼拝堂と、ネルソン通りにあるウェルチ記念ホールである。このホールはロチェスターのアンドリュー・ジャクソン・ワーナーが設計し、ルイス・カムフォート・ティファニーがステンドグラス窓と内部装飾を設計した。ティファニーによる礼拝堂内部装飾として、今日まで完全なまま改変されずに残っている唯一のものである。 1816年、オーバーン刑務所(オーバーン矯正施設)が、当時オーバーン・システムと呼ばれた囚人を扱うためのアイディアを詰めたモデルとして設立された。その施設や囚人を訪問者が見る時は料金を取られた。1890年8月6日、電気椅子による最初の処刑がオーバーン刑務所で行われた。1901年、ウィリアム・マッキンリー大統領を暗殺した犯人レオン・チョルゴッシュがここで処刑された。オーバーン・システムのアイディアは捨てられたが、刑務所は最高警備度の施設として運用が続けられ、大陸アメリカ合衆国でも最大級に厳しい刑務所となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーバーン (ニューヨーク州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|